2018-02-14

Egword復活間近というニュースが嬉しくて

Egword Universal 2(まだ2なのか?)復活間近というニュースが嬉しくて、詩なんだか歌詞なんだかエッセイなんだか、得体の知れぬものをベータ版で書いてみましたよ。原稿は縦書きなんだけど。某国の辺境を旅していた時の記憶をアレンジしたものです。読む人が読めば、町の名もカフェも(ひょっとすると登場人物も)特定できちゃうんでしょうが、わからないほうがよさげ。さりとてあんまり具体的なエッセンスがないと、話というのはまるで面白くないな、ということを今夜は学びました。
こういうのを書きためていくと、いつか歌が書けたりするのだろうか。年をとるほど、昔のことをやたらと思い出す、というのは本当なのだろうか。今からなんだか楽しみです。頭も記憶も悪くて、懐かしもうにも、普段、こうした話をなかなか思い出せないので(そう思うとやたらと記念写真を撮る人をけっして馬鹿にできませんね)。



辺境にて

大陸にひとり、旅に出た時のこと
やけに埃っぽい辺境の町で
朝飯から昼飯まで来る日も来る日も
通いつめていたカフェがあった
飯がうまい訳でも、眺めが良い訳でもないのだけど
まあ、つまるところ、愛想のよい娘がひとりいてね
名はたしか、ローズといったか、ロージーだったか
どうせ、本名の訳もないのだけど
どこかずっと山奥のほうから出てきた、田舎娘のようだった
やせっぽちで、真っ黒に日焼けしていて
化粧っ気はまるでなくて、鼻の下にはうっすらと髭まで生えていて
けっして美人じゃないのだけれど
とにかく愛想がよかったのです

ゆくあてのない旅だった 見たい場所もなかった
とにかく変わりたくて 変われなくて
どう変わりたいのかもわからなくて
うろうろと焦りながら、西へ東へさまよい続け
やっとたどり着いた場所だった

つまり僕は疲れていたのだろう
だからあの子の笑顔が嬉しかった
それだけでよかった
それ以上は望んではいなかった たぶん

そうして幾日が過ぎたか
僕らは時々、散歩をするようになっていた
店から少し歩けば、泥色の川ですっぱだかの子どもたちが遊んでいたり
見晴らしのよい丘の上、静かな寺があったり
ぶたやニワトリがあちこちでゴミを漁っている市場があったり
訛りの強いあの子の言葉はよくわからなかったけれど
ふたりで歩くのは楽しかった

ある日の夕暮れ、いつもの散歩の途中で、町はずれのバス停に連れていかれた
あの子がどうしたかったのかはわからない
――いいから、とにかく来て
――しかたないな
そんな感じだった気がする
ほかに人影はなく、しばらく待ったが、バスは来なかった
きみは寂しげにほほえみ、でもほっとしたようにも見えた
僕はどうだったろう? なぜか記憶にない
そこで彼女との思い出は終わっている
あとはなにも思いだせない

きみは僕をどこに連れていきたかったのだろう?
僕はどこに行ってしまいたかったのだろう?

きみは僕をどこに連れていきたかったのだろう?
僕はどこに行ってしまいたかったのだろう?